NPO法人ホットラインながの 理事長 井出光人さんにお話を伺いました。
ホットラインながのは、子どもから高齢者まで幅広い世代の生活上の相談事業を展開していますが、井出さんは特に災害時の生活支援、相談活動をこれまで様々な場所で実践してきた経験があります。2011年の長野県北部地震災害の際は、栄村に現地出張所を設け、毎日のように長野市と栄村を往復し、被災者の居場所づくりや相談活動をしていたそうです。
被災者と向き合いじっくり話すことで、表面的にはわからない本音の部分のニーズを把握し、どう解決に導くのかを模索し、必要に応じ行政に提案するなどNPO法人としての役割を担ってきました。
そうした経験のなかで、被災時に一番気になっているのが住宅の問題とのこと。被災した住宅や仮設住宅で生活している方が、今後の住まいをどうするのか迷っている方は多いと聞きます。元の自宅に戻るか(戻れるか)どうか、戻らない場合どこに住むのか、資金はどうするのか、など被災者自身が決断を迫られます。
「住宅問題を考えるときには、その地域のこれまでの歴史にも目を向けないといけないんです。例えば、長沼地域はもともと養蚕農家が多い地域だったが、養蚕業が全国的に衰退するとリンゴ栽培に転換してアップルラインと言われるまでの一大りんご産地となった。国道沿いに大型バスが何台も並んで、非常に賑わった。そして今は高速道路の開通でまた地域の状況は変化しているのではないか。そこへ今回の水害が起こった。こういった地域の歴史を踏まえた時、被災者の方は今後の住宅をどう考えるだろうかと思いを寄せて、相談に応じているのです。」と井出さん。
生活というのは、今この時だけのことじゃなく、これまでの流れがあって今がありそしてこれからがある、つながっている歴史なんだと、私にとっては目からウロコのお話でした。恥ずかしながら住宅問題にそこまで考えが及びませんでした。
一方で、長引くコロナ禍の状況の中、相談活動がなかなか思うように展開できていないという課題にも直面しているそうです。
「人が集まるような機会が減っているので、相談窓口があることの周知がなかなかできていない。長沼に現地本部を設けているので、そこからのつながりで個別に相談に来られた方に対応しているのが現状です。」
今後、災害公営住宅など行政による住宅政策も進展していくと思われますが、家族構成や経済状況などが異なる住民一人一人の要望にどう応えていくのか。とても難しい問題で、正解は一つではないのかもしれません。行政や被災者、井出さんのような支援者も含め地域の将来を見据えつつみんなで考えていく必要があるのではないかと感じました。
-2020.10月-